四季の展示「半衿」
今日の半衿の形式は、結髪の普及と密接な関係があり、もっぱら本衿の汚れを保護する実用目的によるものであったことが※「守貞漫稿」に記述されています。
明治、大正期には女性のきものの色や柄が地味であったため、半衿に模様をつけることは、服装美の重要なポイントでした。当時は年齢や自分の好みを反映させるものは半衿とばかりに総絞りや金銀の刺繍入り、友禅染、ビロード、羅紗など贅を尽したものがありました。耳つき衿地が明治二十九年にはじめて織られ、店には専属の図案家も置かれたそうです。
大正期には、“流行は半衿から”と半衿のおしゃれは全盛期を迎え、材質ばかりでなく、色彩豊かに意表をつく、モダンなデザインが好まれ、大正三年に、三越でエジプト文化の展覧会が催され、洋楽器や彫刻などエジプト模様の半衿が流行しました。また、新年の歌会始めの御題が発表されると、「新年御題模様売出し」と店頭に張り出し、他の店に遅れをとらないようにと競い、商戦は、今も昔も変りがないようです。
今回は調査研究室の資料の中から羽子板や矢羽根など新春にふさわしい刺繍の施された半衿を中心に展示いたしました。縫いの手技と共にお楽しみ下さい。
※「守貞漫稿」は喜多川季荘による江戸期の風俗を書き記した書。
松重ね 二越縮緬
松は古代中国では、風雪に耐え厳寒や酷暑にも常緑を保つことから節操が高いことを意味しました。神通力のある仙人は松の木を住家として松の実を食すという仙人思想と結びつき長寿延命の印とされました。
南天の花 揚柳縮緬
冬には赤い実をつける南天。初夏に白い花が咲いた後、その実が晩秋から初冬にかけて真っ赤に色づく姿にちなんで花言葉は「私の愛は増すばかり」白くふっくらと立体的に刺繍されたいっぱいの小花は純粋無垢なあふれんばかりの恋心が感じられます。
源氏香 二越縮緬
平安時代から伝承された薫物合わせがより発展し、江戸時代初期に完成した源氏香。五十二通りの組み合わせに各々に源氏物語の巻名がつき、その香図は文様として、きもの、工芸品に使われています。
貝合わせ 塩瀬
貝合わせと貝桶(紐飾り)をモチーフにした文様は江戸時代に着物や帯の意匠として用いられました。宮廷文化の薫りが感じられ、民衆の間で貴族たちの雅な生活への憧れとも重なり大変な人気となりました。
竹梅 二越縮緬
竹と梅は、古来日本人に最も親しまれてきた文様として取り入れられてきました。竹はしなやかで強く、折れることがなく、梅は愛らしい花の姿と寒中に漂う芳香から新春一番に着る柄として親しまれています。
花菱 二越縮緬
青紫地に白の花菱が配された文様です。
花菱は現実には存在しない花を菱形にしたものの略称で、四つ組合せたものを四つ花菱、幸菱といいます。菱はその名のもととなった水草菱が繁茂しやすいところから子孫繁栄や商売繁盛の意味が込められ縁起がよいとされ、家紋にも使われています。